-HISTORY-
1995-2000



結成は'95年初頭にさかのぼる。
大学時代の仲間同士である、岡本浩孝(Vo,Bass as Jack)、藤田繁一(Guitar as Brian)、山田泰裕(Drums as Keith)、岩崎洋(Bass as Daniel)を中心に、
岡本の実弟,
岡本達幸(リード・ヴォーカル)、今井洋(パーカッション as Eric)を含むグループで始まる。
当初は各々バンドを持ったりして別々の音楽活動を続ける中、「楽しんで営業もできるセカンド・バンド」(Jack談)を目指していたが、メンバーに1人もA型が存在しなかったことが致命傷だった。
「ある日、スタジオにやってきたのが僕1人だった。その次の週も来たのは山田氏だけだった。」(Jack談)
岡本は山田と共に新バンドの構想を練る。そんな時、BrianからJackへ1本の電話が入った。意外にも彼の口からは「このままではだめだから、真剣なバンドを作りたい!」だった。
そんな流れで自然淘汰して3人になった時、初めてグループ名を考えたのが、The Wizzであった。
由来は '70年代英ポップロックグループ「Wizzard」と敬愛する「The Who」の雰囲気、ビートルズのアルパム「With The Beatles」、トッド・ラングレン宰いる '6Osパワー・ポップグループ「Nazz」etc.....の響き、エッセンスから命名した。
音楽的に「ビートルズ的密室英国サウンド+'60年代モッズ・ファッションを反映する」というのが当初の狙いで始まる。シーンには(少なくともその時の名古屋には)同タイプのバンドが有りそうで実は無かった。「いけると思った。」(岡本)

1995.9.15.今池ハックフィン w/バケラッタ
The Wizzの正式デビューライヴ。コンスタントにライヴ活動をしていたJack、Keithに比ベ、ブランクの長かったBrianは「一番緊張した。」というライヴだったが、
1番荒々しくもパンキッシュなライヴだったと思う。

11.2.車道Z
この時期、地元名古屋のモッズ・シーンとも交流を持ちはじめる。

1996.1.26.(金)車道Z w/ブキー、黄金
3.9.(土)車道Z
4.20.(土)車道Z
5.10.(金)今池ボトムライン「Mods May Day '96」参加
7.5.(金)小牧スクラッチ w/K. KOSHlO
7.14.(日)本郷 聖家族 w/バケラッタ
7.27.(土)大須サンタ・バーバラ
7.28.(日)大須サンタ・バーバラ
2デイズ4ステージThe Wizzオンリーで敢行。9割近くのお客が外国人という中で汗だくのステージながら、充実したライヴ。「海外進出も近いと思った」(Brian)

8.24.(土)車道Z「プロフェッサー・ゲディズ・トリオ・ナイト」w/ダイナマイト・デボラ・ヘッズ、ダルマー、ハイダッシュ
Jackがゲディという名を語った幻のステージネーム。 (汚点!?)4つのバンドが集ったこのイヴェントはそのゲディ岡本による企画でその後続ける予定が この1回きりでその後は行われていない。 「必ず第2弾を行います!」(ゲディ改めJack)

9.7.(土)車道Z 「第1回キース・ムーン追悼コンサート」
初のThe Wizzの企画によるイヴェント。キースの由来でもあり、彼の好きなドラマーでもあり、Wizz自体が非常に影響を受けている'60年代の英・ビート・グループ「ザ・フー」の追悼イベント。彼の伝説的なドラミングはこの時期のKeithに非常に影響を与えている。「曲全体がドラム・ソロに聞こえた」(Keith)このイベントは東京、大阪からも参加バンドがあり、名古星の若手モッズ・シーンのDJも参加で非常に意義のあるイベントになった。ここから着実に年1回、定期的なイベントとして定着しつつあり、毎年の定例行事となる。

12.20.(金)車道Z
初のサポート・メンバー、Jackの以前のグループ、デノヴァの盟友、DUG伊藤(現ラーフ)が参加。正式加入には至らなかった。
'96年はThe Wizzにとって、様々な企画やイベントに参加し意義のある(?)1年だったはずだ。また、この時期の年末年始にかけてJack、Brianは サポートとしていくつかのツアーに参加。

12.13(金)Jack、ルイーンのツアー・ベーシストとして池袋アダムヘ
1997.1.19.(日)この同じ日にJackは後のThe Wizzのドラマームーニー北川と共に吉祥寺曼陀羅2へ、Brianはルイーンのサポートで伏見ハ−トランドヘ出演。
1997.1.26.(日)伏見ハ一トランドスタジオ w/HIRO-B,NEON
2.11.(火)車道Z w/B.S.R.
3.11.(火)伏見ハートランドスタジオ w/歌舞伎、ラヴィアン・ローズ

この時期、ドラムのキース山田が結婚を表明。しばらく活動も共に出来なくなる状況になり、グループの先行きが不安に。
「彼に変わるドラムはいないと思った」(藤田)

4.6.(日)小牧スクラッチ キース・ウエディング・ライヴ
このステージを最後にオリジナル・ドラマー,キース山田脱退。このステージのサポート・キーボード、ローズ知崎が正式加入。
Jack(Vo&B)、Brian(Vo&G)、Moony(Dr)、Rhodes(Key)の第2期The Wizz

新ドラマーに、北川太(ムーニー)加入。リハーサル期間のこの時期は、Jackのアコースティック・ライヴで「時間稼ぎした」(Jack)
4.18.(金)車道Z Jackが本名で岡本ヒロ・ソロ・ライヴ
ルイーンのサニ一、Jackの旧友であリギタリストの大谷宗司のサポート。
5.3.(土)柳橋マイ・ファニ−アコースティック・ライヴ

第2期新生Wizz ライヴスタート

6.20.(金)車道Z
ここからJack、Brian、Moony北川、ローズ知崎のラインナップ。
7.5.(土)新栄フレックスビル・スぺースD
8.7.(木)伏見ハートランドスタジオ
9.6.(土)新栄クラブ・ダイアモンドホール「第2回キース・ムーン追悼コンサート」
前年のZでのステージからいきなりダイアモンドホールヘ。参加バンドも多数。「人生ステップ・アップが大切。でも赤字でした。トホホ」(Jack)
なお、このステージを最後にローズ知崎がグループを離れる。「最後のステージのローズ氏はなんかエルトン・ジョンみたいでイケてたよ」(Brian)

Jack(Vo&B)、Brian(Vo&G)、Moony(Cho&Dr)の第3期The Wizz
11.20.(木)伏見ハートランドスタジオ
12.19.(金)車道Z
The Wizz名義ながらジャック&ブライアンのアコースティック・ライヴ

'97年はWizzにとってかなり波乱万丈な年だった。メンバー・チェンジ、さらにムーニー、ジャックの自動車事故に始まってこの年2度目の事故で年を 締めくくったブライアン。本当に色々ありました.....

1998.1.31.(土)伏見ハートランドスタジオ w/What U Seek,ポツダム巨人軍
同世代のグループによるこの日はかなり刺激になってメンバーにとっても「過去最高の良いステージ」だった。「やっぱ、曲はメロディーだて!Wizzはええわ!」(フィーフィートレイン:梅村氏談)

新メンバー、チャーリー登場!!
Jack(Vo&B)、Brian(Vo&G)、Moony(Cho&Dr)、Charly(Key)の第4期The Wizz
3.8.(日)伏見ハ一トランド 篠田望プロデュース「Real Rock Real」参加
"名古屋のアンディ・ウォーホール" 篠田望のイベント。このステージより新メンバー、チャーリーこと堀洋介参加。いっきに平均年齢を下げてくれる。

4.4.(土)新宿クラブ・ワイアー「Whisky A‐Go‐Go」w/フェルジ、バニ一ズ
束京モッズ・シーンの中心的イベントにWizzにとって初のツアーとなるこの日は束京のモッズ連中にある程度のインパクトは与えたはず。全国のモッズ・フェイスが集う中、『モッズとは?』の論争が繰り広げられていたのを見て「ちょっと違うかな?」との思いを感じるThe Wizzメンバー。「スタイルに固執は非常に重要、愛する心も非常に重要。でも『モッズ』っていうくくりがあまりに狭いような部分がちょっと違うと思ったかな。あくまでも現在進行形、スピリットはモッズ。」(Jack)

5.10.(日)大須E.L.L.w/ジャック・オヴ・オール・トレイズ、ベルファスト
6.6.(土)横浜鶴見T−TOPS「Beatles Live Fest Vol.8」
あのビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンをも驚かせた後期ビートルズ完全再現バンド、ビートルーズとの共演。「加入してからイキナリハートランド,ELLと来てツアー。びっくりしてます。」(堀)チャーリーにとってなんとWizzは初めてのバンドだったのであります.....

7.26.(日)車道・Z ワンマン・ライヴ (ゲスト:弥富マタハチfromペンシルズ)
この日はThe Wizzにとって初のワンマン・ライヴ。とはいえ結成当時から在籍のオリジナル・メンバー、ブライアンの脱退ライヴでもあり、サブタイトルも
「さよならブライアン」と掲げられたライヴだった。仲間であるペンシルズのヴォーカル、マタハチ君もゲスト参加で盛り上げてくれたり、結成当時からのナンバーも
ガンガンプレイ。音楽的相違により脱退表明したブライアンも多少ならずとも、ちょっぴり後悔しながらも開き直ったギタープレイ、皮肉にもワンマンにして過去最高の
動員を記録。ブライアンの330&VOXサウンドが聞けなくなるのが寂しいところ…。さよならブライアン。

幻の第5期+ギタリストニコライ参加
9.5.(土)伏見ハートランドスタジオ「キース・ムーン追悼ライヴVol.3」
w/クラッツ、ルイーン、ストーク(from 東京)、Whooligans、メランコリック・メロディー・メイカー、ペンシルズ
3回目を迎えたイベントは、過去2回の動員数をはるかに上回り、また参加バンドのパフォーマンスも最高のイベントだった。若手バンドのクラッツ、メランコリック等の
元気なステージ、クイーンのトリビュートバンドとしてナを馳せているストークの参加により、バラエティー豊かなカラフルなイベントとなり成功をおさめた。
そしてThe Wizzにとっても大きな転機を迎えたステージでもあった。7月に脱退したブライアンに代わり"黄金"というバンドを休業中だったJackの
後輩でもあるニコライ工藤が参加後初のステージ、更にキーボードのチャーリーが当日失踪する!というアクシデントもとりあえず新生ウィズのトリオでなんとかこなす。

10.24(日)大須E.L.L. w/ジャンプ・ナンバーズ
5月以来のELLはまたもチャーリーの当日失踪により危ぶまれたが、やはり3人でこなし無事終了。もちろん、この件でチャーリーは解雇。「とーぜんといえばとーぜんだけどさすがにニコライも爆発したな」(Jack)人騒がせ・身勝手なチャーリーだったが若いファンにはアイドル的存在だった彼がいなくなるのは、バンドにとって決してうれしい話ではなかった。「ルックスで売るのは止めるか(笑)」(Jack)
結局 Jack(Vo&B)、Nikorai(Vo&G)、Moony(Cho&Dr)、Charly(Key)の第5期での顔ぶれでのライヴはキーボードなしのトリオで行われたということになるのでした。

この時期、年末にメンバーとなるeriko eternityが現れる。「夜毎、失恋で酔っ払ってたなぁ。酔っ払いながら『わたしやりまーす、ばんど!』って叫んでたけどまさか加入するとは思わなかった」(Jack)

11.  車道・Z w/ストーク
完全にトリオバンドとなったThe Wizz初のステージは、9月の「キース・ムーン追悼」でも来名してくれた東京のストークが、早くも名古屋に再上陸ライヴ。今回は彼等が主催するイベント「アートロックナイト」のオムニバスCD発売の為のプロモーションを兼ねてのツアー。名古屋はThe Wizzとのカップリングが実現。ストークの派手なクイーン再現ステージの後に演奏するThe Wizzが取った対抗手段、後にも先にもないこの日一度きりとなったJack&Nikoraiによるツイン・ダブルネック(!!)をオープニングから持って出演!また、ニコライによる新曲「星の海図」もこの時初披露。会場にいたeriko eternityはこの時のステージを見て「凄くかっこよかったので是非参加したいとおもいました!」(eriko eternity)とコメント。

12.29.(火) 車道・Z 「The Wizz & Superfriends Vol.1」 w/歌舞伎、ストーク、奥田しんいち、マタハチ etc...
The Wizz名義による主催で毎年年末恒例となるべくイベントとして立ち上げた第1回目。キーボーディストとしてeriko eternityの初ステージとなるこのイベントはまさにeternityの弾き語りで始まった。「とても聞いていられなかった(笑)」(Jack) 「何で彼女を加入させたのかわけがわからん…」(Moony)
賛否両論の中(ほとんどが否定的!?)でスタートした4人編成によるThe Wizzのイベント自体は様々な顔ぶれにより盛り上がったイベントとなった。
「また是非参加させてくださいね、ぴえ〜るさん!」(歌舞伎・恵魔)
ここに第1期に続く黄金期のJack(Vo&B)、Nikorai(Vo&G)、Moony(Cho&Dr)、eternity(Key&Vo)の第6期The Wizzが誕生!

波乱万丈の丸4年目を向かえ、時代はいよいよ世紀末、1999年へ!!
2.21 アンディ・ウォーホル・トリビュート「REAL ROCK AND REAL#2」に新生Wizzで出演。更にこの日は'60年代のヒッピーファッションでのコスプレ。会場となったハートランド楽屋でのメンバー写真のルックスが非常に興味深い。「コスプレってのも悪くないな」(Jack)

この時期はバンド的にも非常に良い状態を迎えていたこともありアルバム製作のためレコーディング作業開始。プリプロの段階では9曲ほど候補があったが最終的にリリースされたミニアルバム「Sings Mr.Blackman」には6曲収録。リリース時に撮りためた映像とロケ映像から3本のP.V.がAOZORAの製作により完成。この時期ではインディのP.V.リリースはまだ珍しかったと思われる。(作品は「Mr.Blackman」「星の海図」「Peppermint」の3曲)
CD発売ギグとなった大須E.L.L.でのライヴもとりあえず成功。「今思えばポール・マッカートニーのバースデードンズバだったんだな」(Jack)

特に9月の名古屋は今池・得三におけるクリス・ヴォーン・シュナイダーンとジョン・ウェズレーハーディングの来日ツアーのオープニングアクトは翌年の渡米に繋がることとなる。
またJackが'98年より名古屋西部のコミュニティーFM「シャナナFM」にて毎週土曜19時30分より「INDIE MOD NIGHT」のパーソナリティーを通算1年半勤める。ここでゲストに迎えた多くの名古屋で活動するアーティスト達と交流を深め
年末のイベント「The Wizz & Super Friends」も昨年に引き続き開催、更に多くの出演者で盛り上がった。

年末、ギタリストであるニコライが急遽体調不良によりバンド休止を余儀なくされる。決まっているスケジュールをこなすために 久々に結成時のメンバー、DANIELがベーシストとしてヘルプで参加(後に正式参加)、またアコースティック・デュオでJack+Danielも活動開始。Jackはギタリストに。
「Jack+Daniel、名前でOKだよね!」 (Jack)
年末年始のスケジュールを Jack(Vo&G)、Daniel(Vo&B)、Moony(Cho&Dr)、eternity(Vo&Key)の第7期The Wizzで乗り切る。


-波乱万丈の'00年-

更にレーベル「マスタング」からも既に4タイトルがリリース。Wizz以外にはbrat、Wooher、Mickyの顔ぶれでハートランドにおいてレーベル主催のオムニバスイベント「MUSTANG NIGHT」を開催するも見事に失敗。
「やっぱみんな自分の事しか考えなんだよね〜」(by Mr.X氏)
なおこの日、WIzzのステージに乱入(?)セッションしたジ・アーケーズもその後マスタングよりCDをリリースすることとなるがJackがベーシストとして正式参加。それにより2足の草鞋を履くことになる。
「やっぱ2足草鞋ってのは無理だね・・・」(Jack)


春頃ニコライ復帰。それによりJack(Vo&G)、ニコライ(G&Vo)、Moony(Dr)、eternity(Key)、Daniel(B&Vo)の第8期5人編成に。
しかし5月の今池・得三でのライヴがこの顔ぶれでの最後のステージになる。

6月ドラムのMoonyの家業が忙しくなり、今や恒例となった第1回「ポール・マッカートニー・バースデー・イベント」に不参加。Wizzはアコースティック編成でなんとオープニングに出演。
またこの時期、アメリカは西海岸で毎年開催されるパワーポップイベント「International Pop Overthrow Festival」よりオファー。現実的に参加できるメンバーはJackとeternityのみのためミュージシャン仲間の3人がサポートで共に渡米。2ステージをこなし地元の新聞やラジオ局でも紹介される。

ドラマーのMoonyの復帰が難しい中、渡米の際のサポートメンバーのうちドラムのDanna、キーボードのminnieの二人はそのままWizzに参加。
帰国後のメンバーはJack(G&B)、ニコライ(G)、eternity(Key)、Daniel(B)、minnie(Key)、danna(Dr)の第9期6人編成となるが実際ステージではニコライかDanielのどちらかが欠席、6人でのステージは残念ながら一度も陽の目を見ずに11月の車道Zでのステージを最後にニコライが脱退。
順調だった'99年と比較してあまりに目まぐるしく展開したメンバーチェンジに「ちょっと危機感を感じた」(Jack)

そして世の中は21世紀を迎えるのでありました。さよならぼくらの20世紀!!

ここまで読んでくださってありがと!続きの'01年からは近日中に・・・